「猫亭通信」と「纖」

 偏屈な編者の関心の赴くまま、「怪奇・怪獣・漫画映画」を中心に編むべく創刊されたささやかな個人紙「猫亭通信」は昭和五十八年、十六頁の小冊子 から始まった。。複写(コピィ)機から出た紙を折っただけの第一輯は、寄稿者や知友に配ってお仕舞。若干の反響があったのか、更に増補して二度も作 ってゐる。この内、二度目の披露は昭和六十年、簡易印刷で小部数を作ったと思しい。同年、その前年に逝去された平田昭彦大人の偲び草として、簡易印 刷を用ゐて第二輯を作成。この後、昭和六十三年に単行本『佐藤肇回想録 恍惚と不安』を刊行して以来、「猫亭通信」は杜絶してゐる。今回、馴れぬ電 脳網上で「猫亭通信」を再開しやうと思ひ立ったのも、ほんの気まぐれ。偶々出す拙著の増補訂正に、手軽な手段と考へたからに他ならない。一方、海外 に向けた個人紙の刊行も長年の懸案だったから、こちらも電脳網に相応しいとばかり、期せずして一石二鳥を狙ふ形になった。とまれ、「Non omnibus, sed nonnullis.(全ての人の 為ならで、少数の人の為に)」といふ創刊以来の矜持は変らず、読者が猫四匹に限られるのは必定。但し、話柄は映画を中心に幅広く、際限なく。(庚辰彌生)

 接続業者の不手際から移転を余儀なくされ、同時に記事を間引き、英文頁は廃絶した。(丙戌神無月)

 ふと思ひ立ち、この電脳網頁を「猫亭通信」から「纖」に改名する事にした。
 「纖」は「そびか」と訓み、細い様を意味する。異字体は「纎」。其角だったか、自らの俳諧を夏炉冬扇、衆に逆ちて用ゐられぬ、過去からの「細き一筋」と表現してゐ たのも心の隅にある。全員の為で無く、ごく少数の為の頁に相応しい命名かと独りごつ次第。
「纖」もまた、一号で杜絶した個人雑誌。こちらは映画から離れ、音楽や観念史、書誌の真似事まで雑多な内容だった。 (戊子葉月)

 接続業者の都合で移転を余儀なくされ、「ボマルツォ公」名彙と千葉耕市頌を割愛した。(丙申彌生)

 思ふ所あれば、掲載駄文を大幅に整理、割愛した。(令和庚子卯花月)

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